KOTEN1:関係と環境(水溜りのミジンコのように)

映像を作るには、撮る中身も、撮る機材も、本格的なものにしないといけないと思ったこともあった。 だけどその後、肩の力が抜けていった。円空を知ったあたりからだろうか。彼の作品を見ているうちに、重要なのは物(素材)とそれに向き合う作者との関係性であり、それを表現すれば、それがすなわち芸術なのだという考えに至ったのだった。 そう考えていくうちに、「千のプラトー」で語られていた「アレンジメント」のことが強く意識されるようになった。飛ぶ蜂と蘭は関係している。蜂には蜂のアレンジメントがあり、蘭には蘭のアレンジメントがある。そのアレンジメントこそが芸術の核にあるもので、世界を作り出しているものなのだ。
自分の周りには世界があり、それを見ている自分がいる。だから、もう芸術の素材は揃っているのだ。コロナで大掛かりな撮影や外出ができない中で作った作品もあるけれど、それにより創造性が制約されたとは思わない。一生水溜りから出ないミジンコにもアレンジメントがあるように、 たとえ家から出なくたって、そこにアレンジメントはあるのだから。(s)


森川さん江
監督・脚本 佐々木竜太郎
出演:佐々木竜太郎、塘内彩月(声)
制作年:2021


5分の映像コンテストの話を聞いた日、たまたま電車で多和田葉子の「遣灯使」を読んでいた。映像を作ろうという気になったのには、この「遣灯使」の存在が大きかった。


それは僕に、高校の時に書いた小説を思い起こさせた。困難が訪れた世界。大人は過去と比較し、変わり果てた現在を嘆く。だけれど、子供たちはそこに新しい形の美しさを作り上げ、希望を見出す。その話を作ったのは、東日本大震災で流された祖父母の家を初めて実際に見た夏だった。


高校の時の発想が、今の自分にとっても重要に思えたのは、今年が震災からちょうど10年で、例年以上に意識させられたとともに、新型コロナウイルスによる閉塞感が世界を覆っていたからだと思う。


高校の時と違い、映像にするからには、物質と対峙しなくてはならなかった。希望である美しさのイメージに繋がる、身近にある物質。考えていくうちに、図鑑というアイデアが出てきた。図鑑は、子供の頃に夢中になったものだった。特に恐竜の図鑑を読んで、想像を巡らすことに。


また、「8日で死んだ怪獣の12日の物語」のように、テレビ通話を用いて作られた映像、というのにも興味があり(というのもよく接するようになったから)、それに対して自分なりにその遊び方、逸脱の仕方を提案したつもりだ。