マガジン2:色々な形の家族

英国の小説家ヴァージニア・ウルフの「オーランドー」という小説は、性別が変わり、性を超越する主人公の生涯を描いた物語である。だからこの小説は人々を、固定化されたジェンダーから解き放った作品であると言われる。 しかしこの小説が解き放ったのは個人だけではない。元々男だったけれど女になった主人公は、配偶者を得て、家庭を持つ。印象的なのは、主人公も配偶者も、そのジェンダーは曖昧であるというところだ。彼らは家族の絆で結ばれているものの、その繋がりは異性的なものではない。 エディプス・コンプレックスを提唱する精神分析が全盛だった時代に、ウルフは家族をそうした固定されたイメージから解放したのだ。現代では自由が、多様性が叫ばれている。その叫びは、個人ごとの自由や多様性に留まってはいけないと思う。友人、恋人、家族、アソシエーション、人と人との繋がり方、集団の自由と多様性 もまた大切だ。今回はその中でも家族に焦点を当てて、家族の自由・多様性を伝える映画を紹介していく。

海の写真

おいしい家族
監督・脚本 ふくだももこ
出演:松本穂香、板尾創路 ほか
公開年:2019


板尾創路さん演じる青治が、主人公に「父さん、母さんになろうと思う」というシーン。この部分が、なんかずっと観た後も引っかかっている。まるで家族というのが一つの劇で、父さん、母さんといった役を1人ひとりが演じているかのような印象を、このセリフは与えるのだ。家族とは、固定された役割に徹していかなくてはならないものなのだろうか。


青治は、まるで劇で着る「母親役」の衣装のように、ロングのパープルのスカートを履き、エプロンを着る。その姿はまるで、コムデギャルソンオムプリュスのショーに出てくるスタイルのようでかっこよかった。でも、オムプリュスがかっこいいのは、典型的な男性のイメージに当てはめようとする服の形から自由になっているところにある。青治にも、母親のイメージに囚われることなく、スカートを着こなして欲しかった。


そして「おいしい家族」の作中には、より自由な精神で服を着る登場人物が出てくる。同じ離島に住む高校生男子、瀧である。彼はフリフリのフリルがついた服が好きで、それを着ることで自分を表現することができる、と感じている。彼の親友であるダリアは、そうした個性を含めて、瀧を受け入れている。2人を見て、「あ、こういう心の繋がり方もあるのか」と、新鮮な感覚を覚えた。


そのダリアを演じるモトーラ世理奈の存在も、映画の中で際立っている。彼女はパリコレにも出ているファッションモデルけれど、普通のモデルとは少し違った、独特な存在感を持っている。少し前までは、人形のように容姿端麗な人が価値を伝える役割、つまり広告を担当していたけれど、これからの時代の価値は、彼女のような唯一無二の存在感によって発信されていくような気がする。


「おいしい家族」の最後、結婚式の場面で、瀧とダリアが並んで立って、花嫁姿の青治を見ながら、自分たちの未来を想像する場面が印象に残っている。彼らは今までにないような、今までに演じられたどの「家族」とも違う家族を上演するのかもしれない。新しい役を考えるところから初めて、それを演じるのかもしれない。この映画では2人のその後を見ることは叶わないけれど、きっとそれは素敵なものになるだろう。