マガジン1:ネットコミュニケーション

テクノロジーは、未来を見させてくれる。でも、テクノロジーを使って成し遂げようとすることは、意外と過去を引きずっていたりする。私たちの意識に普段はのぼることのない、隠された過去の願望…。ヴォルター・ベンヤミンの「パサージュ論」という本は、そうした技術の進歩を通じて、隠された過去を見る眼差しを僕たちに与えてくれる。
私たちの身近にある技術、それはネットのコミュニケーションかもしれない。特に、こんな世界になった今は。私たちがネットコミュニケーションを行う時、どのような過去の願望が顔を出しているのだろう。色々な時代の、様々なネットコミュニケーションを描いた映画を、今回はとりあげようと思う。

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リリィ・シュシュのすべて
監督・脚本 岩井俊二
出演:市原隼人、蒼井優 ほか
公開年:2001


カタカタカタ…こうしてレビューを書く時も、画面に新たに表示される文字とともに、キーボードの音が鳴る。ネットを通じ、顔も知らない人と空間を超えてメッセージを交わすことのできる自由。「リリィ・シュシュのすべて」では、その自由を宣言するかのように、キーボードの音が鳴り、画面に大きな文字が書き込まれる。


1900年代、つまり20世紀、映画は情報伝達としての役割を持っていた。昔の人々は映画館でニュースを見ていたのだ。しかし、家庭用ビデオカメラ、パソコン等々の新技術によって、メッセンジャーとしての映画の優位性は失われた。「リリィ・シュシュのすべて」は、そうしたパソコンの画面やビデオカメラの映像をそのまま映画に用いて、21世紀の新たな映画の形を提示した。


21世紀を生きる私がこの映画を最初に見た時に感じたのは「希望」だった。この映画は紛れもなく、映画だった。岩井俊二監督らしい、エモーショナルな芸術作品だった。だけどその映画を構成しているのは(全部ではないにしても)、私たちが日常目にする、ありふれた道具で撮ったものなのだ。映画が映すものも、私たちの日常そのものだ。CGでも、巨大なスタジオで撮った映像でもない。なのに心が揺さぶられる。


これからも映画は、私たちの使う、日常的なメッセンジャーによって作られていくことだろう。メッセンジャーの移り変わりと共に、映画もまた、変わっていくのだろう。メールやSNSが、私たちをより幸福にしているは分からない。ただ一つ確かなのは、それらは映画の「可能性」なのだ。「リップヴァンウィンクルの花嫁」のなかで、SNSが重要な小道具になったように。


昨年から私たちの日常は大きく変わっている。今やzoomなどのテレビ通話は欠かせない。こうして新たに日常に現れた技術を、芸術の一部に昇華させて、より人間らしい付き合い方を提案していくのも映画の役割ではないかと思う。「8日で死んだ怪獣の12日の物語」はまだ観ていないけれど、テレビ通話を良い意味で解体していくものであることを願っている。


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ほしのこえ
監督・脚本 新海誠
出演:新海誠、篠原美香 ほか
公開年:2002


「ほしのこえ」の映像はほとんど新海誠監督1人の手によって作られた。映画を1人で作り上げるというのはとてつもないことである。総合芸術なので、自分が本来得意としないところまでをやらなくてはならない。新海誠監督は美しい風景描写が持ち味だが、本作品では人物の描写だったり、更には声の出演までやっている。そこまでしてでも、彼は映画を作りたかったのだ。


おそらく彼は、この作品に並々ならぬ思いがあったのだろう。というのも、改めて作品を見直すと、尺の長さや舞台設定こそ違えど、のちの代表作「君の名は。」と描いているものが一緒なのである。空間的だけでなく、時間的にも引き裂かれてもなお、ネットコミュニケーションによって心を通わそうとする少年少女。


1人で作られたアニメ映画は、時々劇場公開されることがある。例えば昨年公開された「音楽」。作画枚数4万枚という宣伝で凄そうだと感じ見に行ったけど、よく考えたら、大勢で作っているジブリ映画とかの方が、枚数はずっと多いのだろう。大勢で作った映画に、クオリティで勝るのはなかなか難しい。


それでも1人で作られた映画を見たくなるのは、間違いなくその映画には作り手の並々ならぬ熱量、どうしても表現したいものが込められているからだ。そしてその込められたものは、観客にも伝搬する。そして後の作品を生み出す種になるのだ。「ほしのこえ」が、「君の名は。」を生み出すもととなったように。


今年も、1人で作られた映画が公開される。「ジャンクヘッド」という映画だ。自分は間違いなく見にいくことだろう。間違いなくその映画には、これからその作者を導くであろう、どうしても表現したいものがあるから。そしてそこに込められた想いを受けとった私たちも、導かれることがあるかもしれないから。


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リップヴァンウィンクルの花嫁
監督・脚本 岩井俊二
出演:黒木華、綾野剛 ほか
公開年:2016


最近はコロナ禍ということもあり、リモートでできることが家庭教師のCMで強調されることがある。でも、岩井俊二監督は、コロナが始まる前から、主人公がリモートで家庭教師をするシーンを撮っていた。「リップヴァンウィンクルの花嫁」という映画で。


この映画は、他にも様々なネットサービスが登場するが、どれも映画に登場した後に広まっていった。マッチングアプリとか。改めて岩井俊二監督は時代の一歩先を掴んでいるなあと、数年後、答え合わせをしたように感心してしまう。


でも、映画で登場したサービスが後に広まったのはたまたまではない。「リップヴァンウィンクルの花嫁」で描かれている、現代の繋がることの容易さと、その繋がりの心理的な希薄さは、確かにこの映画が作られた時にもあったし、その傾向は現在もなお強まり続けている。


希薄な繋がりに溢れた現代の中で、偶然にも誰かと会ったこと、同じ時間を共有することの大切さをこの映画は伝える。本作の彩る要素の1つである宮沢賢治の童話のように、それは素朴でありながら美しい。冠婚葬祭の中で、出会いを祝福するために行われる「婚」。そのイメージもまた、この映画の中で新たな、それであって同時に美しい形となって現れる。


出会うこと。それ自体が大切なことってわけじゃない。その出会いを忘れずにいること、大事にしておくことが大切なのだと思う。主人公七海(黒木華)の誕生日である4月1日。この日に毎年公式の上映会が開かれていて、映画を1回限りの繋がりで終わらせないということで、まさにこの映画のメッセージを体現している。今年もオンラインで開催されるようで、楽しみだ。


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神様メール
監督・ジャコ・ヴァン・ドルマル二 脚本・ジャコ・ヴァン・ドルマル、トーマス・グンズィグ
出演:ピリ・グロワーヌ、カトリーヌ・ドヌーヴ ほか
公開年:2016


神の意思は、今までは天候によって表現されていた。例えばノアの方舟の洪水のように。「天気の子」の中でも、天気と宗教が密接に結びついている。というのも、昔は広い範囲にいる誰もが受け取ることができる情報が天候しかなかったからである。


「神様メール」で、神とメールを結び付けて描かれたのを見た時、なるほど、と思った。何も今は、神は天候によって情報を発信しなくても良いのだ。今やほとんどの人が所持しているメールに情報を送りさえすれば良いのだ。


ただ、メールを送信したのは、神にとっても不慮の出来事だった。それまでは直接行動をコントロールしていたから、そもそも何かを知らせる、という必要がなかったのである。全能の神が、コントロールするのではなく啓示をするということは、民衆の主体性を信じるということだ。だから、啓示をするというのは実はとても重要なのだ。本作からインスパイアされた映画「神の発明、悪魔の発明。」もとても面白い映画だが、そこではこの「啓示」の要素が抜け落ちていて、そこだけ残念である。


神の啓示によって私たちが知らされるのが、自分が死ぬ時間という点も興味深いというか、制作元であるヨーロッパらしいなと思う。ハイデガーが語った「決意」。自分の未来の死を引き受けること。この映画は、それをすることで実際にどのような行動が起きるか、という思考実験の要素もある。


コントロールするのではなく、相手の主体性を重んじた場合、予測ができない。その分、思いがけない結果が生まれる可能性がある。だから、情報だけを発信して、あとは受け取った人の主体性に任せる、というやり方は大事で、これからも残り続けるのだと思う。仮に人間が神のように、精度良いコントロールが可能になったとしても。


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ザ・サークル
監督・ジェームズ・ポンソルト 脚本・ジェームズ・ポンソルト、デイヴ・エガーズ
出演:エマ・ワトソン、トム・ハンクス ほか
公開年:2017


この映画で私たちは「サービス」について考えさせられる。現代ほど、サービスが前面に出てくる時代があっただろうか。それまでは、「モノ」が世界を変えるものだった。トーマス・エジソンは確かに電気というサービスを生み出したけれど、その電気が有用なものだと認識されたのは、彼が電球というものを発明したからだ。


スティーブ・ジョブズが発表したスマートフォン以降、私たちは「モノ」の登場で世界が大きく変わる場面を目撃していない。その代わり、世界を変えるサービスに立ち会う機会は増えた。この映画は、そうしたサービスの行先を突き詰めた先にあるものを見せてくれるような気がした。


「サービス」は私たちを満足させるように見える。しかし、サービスというのはあくまで媒体に過ぎない。サービスにおいては何らかの「もの」を提供しなくてはならないのである。しかし、「もの」について深く考えることはしない。「ザ・サークル」のサービスが与えるのは繋がり・透明性・効率性である。しかし、繋がりとはどういうことか、透明性とは、効率性とはどういうことなのかについて、考えようとはしないのだ。


主人公のメイ(エマ・ワトソン)はサービスを変えようと奮闘する。しかし彼女がサービスという手のひらの上にいるという事実は変わらないのである。対照的に、彼女の幼なじみは鹿の角でシャンデリアを作る。彼女の実家にも飾られる。このシャンデリアの強烈な「モノ」の存在感は、彼女に突きつけられているかのようだ。


映画は、やっぱり「モノ」を意識させられるメディアだ。シャンデリアという「モノ」が持つ存在感、さりげないように見えて実は強烈な存在感は、映像でないと表現できない。いずれにせよ、私たちは「モノ」と関わって生きる。ザ・サークルの社長(トム・ハンクス)だって、ボードを持ってサーフィンをする。結局、最終的な目的地はモノ、あるいは人なのだ。目の前のサービスの新しさに騙されず、どれだけそれらを大切にできるか。それが試されている。